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■ 目 次 ■
・養魚日誌
★みんなの広場
掲示板:お気軽に


・アユについて
・簡単な養殖歴史
・アユの各部の名称
・アユの内蔵の名称
・♂♀判別
・料理・調理法
実際の養殖
・卵
・仔魚
・稚魚育成
・成魚育成
・出荷
・餌
・市場
・養殖場ってこんな感じです
・アユが食卓にのぼるまで
・都道府県別生産量
・アユ養殖業界天気図
□質問箱
・掲示板をご利用ください
・非公開希望の方はここ

日本で最初にアユの養殖を考えたのは、石川千代松博士という方だそうです。 博士は、琵琶湖に生息するコアユが大きくならないのは、藍藻や珪藻などのアユの餌が 琵琶湖には少ないことによると考えました。そこで、コアユを河川に放流したり、池中飼育 すれば大きくなるとの理由から、明治42年(1909)に知内養魚場(高島郡マキノ町、滋賀県水産試験場所有) にて人工飼料を投与したところ、秋には30センチにも育ちました。これで、博士の説が 正しかったことが証明されました。続いて東京都多摩川上流へも河川放流され成功しました。

その後大正・昭和にかけ滋賀県・東京府、石川・長野各県の水試で追試験され実証されました。

海産性稚鮎については、農林省水産試験場の中野宗治技師が昭和4年(1929)神奈川県の 小多和湾の稚鮎を用いて池中養殖に成功しました。東京・福井・神奈川・福岡・静岡各県の水産試験場が 追試験をして同じく成功し、今日に至っています。

また、一度にたくさん捕れたアユを一時池にストックして、市場出荷をする 形態をとる仲買人(漁師と市場の)も現れました。

本格的な、企業形態のアユ養殖がはじまったのは、1960年代に入ってからのことです。 そして、1967年頃にはその経営体数は飛躍的に増えました。養魚池も三面コンクリートで 用水も井戸(伏流水、地下水)を用いたもので、ポンプなどで水の流れをつけ、飼育密度も それまでと異なり高いものでした。初期の頃、種苗は河口近くの仕掛けで捕れたものを 使うことが多かったのですが、需要をまかなえずに、海産種苗の採補になっていました。 しかし、河川からだんだんとアユの姿が少なくなったように、海でも取れなくなり、 琵琶湖産種苗を導入することが多くなりました。

コンクリート池 {コンクリート池}地下水をポンプアップして池に入れ、中央排水から 糞や残渣とともに排水している。水車は、酸素供給と水流を作るため。写真下方に赤と白の灯具が 見えるのは、ナトリュウム灯。写真では動いていないが、池の隅にはバーチカルポンプが見える。

1980年代にはいり、琵琶湖にアユのための 人工河川ができ、安定的に種苗が供給できるようになったことと、配合飼料の改良や、 水車などのバッキ装置・省力化器機などの利用で飛躍的に生産量が増大しました。 特に電照抑制アユを冷凍保存することにより一年中アユが食べられるようになりました。 価格は低迷しましたが、消費においては広く焼き物商材として浸透してゆきました。

海産性種苗はますます捕れなくなっていますが、近年人工種苗の生産が盛んになっています。 こうして現在の養殖は、琵琶湖産稚鮎、人工種苗、海産性稚鮎、河川遡上稚鮎、その他ダム や湖の陸封性稚鮎を用いて生産をしています。

しかし今、環境悪化・価格低迷などいろんな原因で、養殖経営体・養殖生産も少なくなっています。

(以下、敬称略)
▼資料提供
湊文社「アクアネット」編集部:池田成己
▼参考資料
緑書房「月刊養殖」
▼談話
徳島県山田養殖:山田、土佐野養魚場:土佐野恵治、徳島水試:城泰彦