2003-03-09
プロパガンダと t.A.T.u タトゥー
タトゥー フルアルバム日本盤
200 km/h in the wrong lane
2003年3月9日 発売
トレヴァー ホーン 再び
トレヴァー ホーンがプロデュースを引き受けた曲ということで気になっていたのでフルアルバムが出たのを機会に買ってみました。(シングルはSeptember 10, 2002に出てます)
MTV で 見たときは「うーん」微妙なインパクトでしたけど、CDを買ってちゃんとしたオーディオで聴いて初めてわかりました。たしかに良くできてます。新しいことや奇異なことはほとんどやってない、この10年のこのジャンル(プログレ)を総括して倍返しといったおもむきです。よく考え抜かれた一所懸命で丁寧な作り。完成度が高くて恐れ入ります。 日本盤の局地専用ジャケットをみて、きわものと早合点しないでください。このジャンルでは10年に一度の傑作かも。コンセプトとしてはこのアルバムでやり尽くしちゃってる感じなので、これを越えるセカンドアルバムはちょっと作れないかもしれません。 このアルバム一発でおわったとしても立派に歴史に残ると思います。
同性愛そのものはどうでもいいんです。同性愛を素材としてプログレの疾走感(ロマン主義の側面)を高次元で表現できてることに価値があるのです。 あのビデオは損してると思うなあ。音だけのほうがすごいよ。ラジカセではすごさが出ません。ぜひちゃんとしたオーディオで聴いてください。tatuおそるべしと実感できるはず。音のクオリティで圧倒する作りなので、オーディオにはけっこういいものが要求されます。お金がかかります。
くどいですがラジカセではダメです。 録音が優秀なことを特筆しておきます。トレヴァーホーンは「音の魔術師」なのでオーディオ的快感も重要だとちゃんと考えていると思います。音の良さは伝統ですね、トレヴァー ホーンの。ヴォーカルはクリアでなめらか。ベースはよく伸びて弾力にあふれてる。これだけの伸びと量感と弾性を兼ね備えた良質な低音のCDはなかなかありません。中音と高音も歪みが少なくヴォーカルの透明感を生々しく伝えます。10年前よりシンセもよくなってるし録音機材も良くなってるし、これぞ2003年の音と言えるでしょう。 このCDのバランスは高級オーディオでこそ活きるものなので、ラジカセやMP3ではぜんぜんダメです。くどいです。
プロパガンダのこと
トレヴァー ホーンがプロデュースを引き受けたのは t.A.T.u (タトゥー) はプロパガンダみたいでかっこいいと思ったからだそうです。
プロパガンダはジャーマンプログレッシブロック(まあ言えばドイツロマン主義)の最高峰のひとつ。デュッセルドルフでラルフ ドルパー(銀行員)が結成した4人組です。活動は終えているのですが、これからもその揺るぎない価値で語り継がれ聴き継がれていくでしょう。
1984年ですから、もう20年前のことです。トレヴァー ホーンとポール モーリィの作った ZTTレーベルから、まずLPで発売されます。ちょうどCDが登場したころで、まもなくCDでもリリースされました。いかにもドイツのバンドです。まさにプログレです。ZTTからリリースされたアルバム中最高傑作は(売れたFGTHではなく)プロパガンダのシークレットウィッシュであるということで文句は出ないと思います。
プロパガンダはいわゆる一発屋で、シークレットウィッシュという(ワーグナーやブルックナーと匹敵するような価値の)アルバム一枚を作って活動を停止、その歴史的使命を終えます。そういう疾風怒涛なところもカルトなロマンたっぷりで、マニアの記憶に永遠に刻まれることになりました。
じつはZTTと喧嘩して活動停止を余儀なくされたんだそうです(版権でもめたらしい)。そのあとメンバーが変わってどうでもいいようなアルバムを出してます。トレヴァーから放たれた途端、普通のバンドになってしまうというのは、トレヴァーの息がかかったバンドに共通してて、そういう意味からもトレヴァーは魔術師とか呼ばれるんでしょう。トレヴァーはアーティストを徹底的に素材として扱うので、人間扱いされないアーティストが離反することが多かったですが、残念ながら離反したあとに成功した例は少ないんです。 良くも悪くも悔しくもそれがトレヴァーの魔術。 (ZTTのコンセプトはポール モーリィの作ったものですが)
シークレットウィッシュはS.J.リプソンがプロデューサー。このひとはエンジニアです。だから音にこだわります。音質が良くないと彼らの表現は再現されないということなのです。だからLPよりCDのほうが彼らには向いていました。とくに低音と音場の再現が要です。CDはこれが得意ですが、LPはこれが苦手です。LPでちゃんと再生できる音楽はせいぜい楽器3つまでと考えていいでしょう。だからLP信奉者の言い分をきいてると楽器が3つか4つの音楽しか聴いてないという共通点に気が付きます。
3次元空間の表現力(パースペクティブの表現力、音場の表現力)がないと、プロパガンダの音楽は表現できません。このパースペクティブが独特の逃避的なロマン主義(逃走感、疾走感、悲壮感)を表現します。 音の重なり、厚み、深み、奥行き、位相で表現する。これははっきりいって交響曲的なアプローチです。ブルックナーの表現と同じタイプです。シンセでやってるということが違うだけで路線は同じです。 (閉塞感からの闇雲な疾走、ワーグナーやブルックナーとの共通点、というとこれはもう、赤と黒と白の何かを連想させてしまうんですけど、美学的にはやっぱりそういう要素はなきにしもあらず)
音の厚みがシンフォニックなのは、メンバーのひとり、アレンジとシンセサイザーのマイケル メルテンスがドイツの交響楽団のヴィブラホーン奏者だったことに無関係ではないでしょう。 真の意味でのクロスオーヴァー(ロック、クラシック、ジャズ)、あえて言えば「いい音の音楽」といったジャンルの最新鋭がプロパガンダ。でももう20年前の音楽。
で、タトゥーはプロパガンダみたいというんですから気になります。
参考文献
- www.tatugirls.com
- www.interscope.com